2008年01月16日
あれから13年・・・
今日、我が社の取引先の一つである垂水の”増田屋本店”に、商談に行きました。
久しぶりに来た垂水・・・少し時間が早かったので、駅前をぶらりと歩いて見ました。綺麗な建物ばかり、賑やかですね






近くのどこの店も電気、ガスが止まって営業出来ない!
でも、うちはお米があるから、なんとかご飯を炊きたい!
職人はたくさんおるし、プロパンガスと炊飯釜持ってきて!」
と言うのです。









(後に仮設配管をしましたが、最初はホースで対応しました)
ガスの点火もチャッカマンを使って手で行います。
そして酢を合わせるのも、手で行います。


そして震災後、数日後に、営業を再開できたそうです。



地震でつぶされた中で、増田屋の営業は、
きっと垂水の人たちには、元気を伝えたことと思います。



そこで、女将さんが決断したのが
「都市ガスをやめて、プロパンガスにする!」ということでした。
















タグ :震災
あの時の光景は一生忘れないでしょうね。
私は若い頃地震で高速道路が倒壊した所のすぐ近くに住んでいたので、もし地震の時に住んでいたら生きてないかもしれません。
垂水。。。実家は大阪なんですけど、テニスの練習はいつも神戸。
六甲アイランド、いぶきの森、しあわせの村、そして垂水にも僕の練習場があります。
阪神大地震があったときは垂水はまだオープンしてませんでしたが、六甲アイランドのテニスコートは山のようにぼこぼこで、小さいながらもすごくショックを受けたのを覚えています。
もう起こってほしくないな~><
その日、僕は、たまたま長田の友人宅に泊まってました
ドーンと突き上げる衝撃、偶然が重なって、今ここにいることが出来ますけど
江坂まで歩く途中に見た光景、助けたくても助けれない人々…
いまでも、まぶたに焼き付いています
明日は、仕事中でも、黙祷ささげようと思っています…
「今でも鮮明にあの当時の様子は思い出します。」
自分も垂水に行った際には「増田屋」さんには行きます。
そんなドラマがあったのですね・・・
最初は暗くてよくWからなかった
けどひどい目にあいました
けど婚約者を亡くした方とかいろいろありました
たかさん>
新長田・・・私も青年部の炊き出しボランティアで長田区丸山小学校に行きました。本当に凄い状況でした、道路が亀裂していたり、忘れられません。
ひささん>
ラル君おひさです!ほんと道路もでこぼこだったね。
二度と来て欲しくないですね。
ビフロストさん>
震災時長田でしたか・・・私も被災地に炊き出しに行った時に状況忘れられません。
ゴリぽんさん>
増田屋よろしくお願いしますね~!
Kazuさん>
私のお付き合いしている会社の社長さんも、震災で当時大学生の娘さんを亡くされました。
一瞬のうちに多くの命が奪われた震災・・・2度と来て欲しくないですね。