2016年08月12日
日航JAL123便の事故から31年・・・
今日の神戸新聞紙面より
単独機としては、現在でも史上最悪の航空機事故となっている
日本航空JAL123便の墜落事故から今日で31年になります
毎年、この時期には、当時を振り返る番組が多く放送されていましたが、最近は、少し落ち着いてきたものの、今日の神戸新聞は、紙面をかなり割いて、当時のキーパーソンの証言を記述していました
毎年、この日は、私にとって忘れられない日です
当時、東京でサラリーマンとして、システムエンジニアの仕事をしていた私、この日、お盆の休暇をとり、帰省するため、このJAL123便を予約していたのですが、当日の朝に、どうしても、この日は帰られない仕事上の理由が出来たため、キャンセルしたのです
”もしかしたら、この日は、私の命日となっていたかも知れない”
そう思うと、毎年、この日は、私にとっては「命を拾われた日」なのです
それゆえ、この事故に関する記事には、人一倍関心があります
今日の記事も、本当に興味深い内容でしたね
この当時は、日本とアメリカとの間には、捜査共助条約がなく、アメリカが、事故解明に対しての協力義務がなかったこと
今考えると、「そんな無責任な!」と思いますが、31年前は、そうだったんですね
そう考えると、この事故の真相究明にどれだけの時間と労力がかかったのかは、計り知れないものだろうと思います
二度とこんな惨事が起こらないことを祈るばかりです
事故の犠牲となられた520名のご冥福をお祈り致します
タグ :日航機事故
離陸 (前後方向加速度3G)
18:12:30「東京ディパーチャー、日航123便、滑走路方位を維持しています。800フィート通過しました」
18:12:35 管制塔 日本航空123便は、180度回転した後、浦賀に向け上昇した後、1万3千フィートを維持して下さい。
* 以降 高度の指示は受けて居らず、上昇はしてません。
18:15:55.機首方位200度
(事故調査委員会報告では18:18)
詰り3962mを保持していた事になります。
これが、18:25の事故発生時の高度です。