2007年10月25日
人権教育講演会
今日午後3時より、加古川市民会館大ホールにて、我が社も所属している加古川市企業人権・同和教育協議会主催の人権教育講演会が開催され、出席してきた
会の冒頭、このたびの事件で犠牲になった小2女児へ黙祷がささげられ、講演会が開始した
講師先生も、はじめに、「このたび、こんな痛ましい事件が起こってから日が浅いこの加古川で、講演をすることになってしまい、私は、どんな講演をしたらいいだろうと思案しましたが・・・・」という話から始まっての講演となった。
「身近に考える人権~企業の立場から~」
という演題で約2時間の講演でした。
たいていは、このような講演は、途中から寝てしまうケースが多いのですが、今日は前方スクリーンに映写して、パワーポイントを用いた講演で、本当にわかりやすい例から、人権について講義されました。
最初の画像が、2006年ドイツで開催されたサッカーワールドカップのロゴマークに書かれたメッセージを紹介された
”A time to make friends”というメッセージの後に”Say to racism”というメッセージ、これは”人種差別反対”を意味する言葉であり、サッカーという国際競技のメインメッセージの中にも、”人権”が含まれていたということだった。
そして”身近な人権”の例として、まず、ひのえうま(丙午)をあげられた。
昭和41年の丙午の歳、前後の年に比べて27%出生児が減っている、ただ、その前の丙午の年(明治39年)は、前後の年に比べ10%減だったと言う。
「ひのえうま(丙午)十干十二支で”丙”、”午”はともに火を表し、この年は火災が多い、この年生まれの女性は気が強いという迷信」
これだけ科学が進んできたにもかかわらず、何の根拠もないことを信じこんでしまっているという例である
また六曜というもの、ただ規則的に、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口が繰り返しているだけなのに、友引の葬式は良くないとか、仏滅の結婚式はおかしいとか・・・これら科学的根拠がないもの迷信を、他人に強要することはやめませんか?と訴えられた。
穢れ意識というもの、”女性は穢れている”お祭りの神輿は女性が触ってはいけないという、何の根拠もない迷信も、「女性にとっては人権侵害ではないだろうか?」と話された
「あたりまえ!」といった考えを「なぜ?あたりまえなのか?」と考えることにより、身近な人権を守ることに繋がると話をまとめられ、そのことを企業の立場で、実践した例を紹介された
「あなたにとって、職場にとって人権とはなんですか?忙しい毎日だけれど、ちょっと立ち止まってご一緒に考えてみませんか?」
とのラストメッッセージ、人権について、本当にわかりやすい例での講演会、自分自身の心にグサっと刺さるものを感じた
事件の事を、被害者家族の事を、あれやこれやというのも、人権侵害ですよね。マスコミ関係者の皆さん
一人で田んぼに稲を作ろうとしても無理ですよね。
肝心の“水”は皆と時期を合わせらな、しょうがない。
その為の暦であり六曜だったんですな。(タブンですが)
反対に支配する者にとって六曜があることで随分楽になるんでしょうな。
これが家相に繋がっていくので・・・ワタクシ無信心者でありまする。
ほな
確かに六曜は、農家にはひとつひとつの農作業の目安となっていたようですね。でも、規則正しい決め方をしているだけで、今の日曜~土曜日の太陽暦に対して、太陰暦と呼ばれているそうです。
こっちの方が、6日に一度休みになるんだったら、いいな(^O^)
このようなことをいう人々こそ、他人の考え(特に宗教)を尊重するべきだと言いたい。(たとえそれが迷信と感じても、人はそれぞれと考えて大人の対応をしたらよろしいのです)
神前式の結婚をやめなさいということが受け入れられますか?
秋祭りの多くは豊作を感謝したり祈願したりする宗教行事のひとつですが、あれも科学的根拠がないからやめろいうことですか?
現代のような科学がなかった昔の人々にとって、六曜はそれなりの価値があり、科学が進んだからと言って何もかも切り捨ててよいのでしょうか?
そもそもこの世の全てが科学で論証できたのですか?
稲作には、現代的な科学がなかった昔の人々が、それこそ六曜や節気・太陰暦のような生活の中で営々として編み出した知恵に基づいて行われる作業が沢山あることは米穀商のHIROGさんには釈迦に説法ですが、そういった知恵は現代にも受け継がれて、我々日本人の大切な食を支えてくれていることを忘れてはならないと思います。
「きっと講演者も米を食べているはずですがねぇ。稲作農家に同じことを説いて回ったんでしょうねぇ。」と皮肉を言ってみたいですね。
いつもながら、厳しいコメント・・・・なるほど(^_^;)