2008年01月30日
タイ旅行を終えて・・・
20年ほど前、東京でSEの仕事をしていた時の社員旅行で、タイに初めて行った時に私が撮った写真です。パタヤビーチです。
この時は、パタヤとバンコク、2泊3日だったかなパネルにして、一つは会社にもう一つがこれです。
今は、このとき勤めていた会社は、なくなってしまったと風の便りで聞きましたが、この写真は、どこに行ったのだろう
タイへの旅行は、今回で3度目でした。一度目がこの写真を撮った時、20年ほど前で、もう1回は、平成7年、今から13年前、米卸が企画し、タイ商務省より招待された”タイ、米事情視察”でした。
この米事情視察の時に行ったタイ北部のチェンマイ、チェンライでは、この当時、日本で通常作られている短粒種であり、しかも日本の品種である”ササニシキ”、”あきたこまち”と言ったお米の栽培が始まっていました。
視察の時に案内してくれた生産者が
「タイは、1年に3回、お米が穫れます。そのため、1年に3度の品種改良が可能なのです。
日本が”コシヒカリ”誕生から30年かかって品種改良して誕生した”あきたこまち”などの新品種開発
我々は10年で出来ますよ!」
と目を輝かせて話してくれました。そうです。平成5年に大凶作、米不足となった日本をターゲットとした農業政策がスタートした頃でした。
”あれから13年後のタイの農業はどうだろう”今回の旅行に行く前、そんな期待が頭をよぎりました。
このたび工場視察した”タイコベルコ建機”は、パタヤに近いところにある工業団地でした。途中、田園風景がバスの車窓から見えました”やっぱり広大な田んぼだなぁ”
ガイドが、タイの農業について話しをしてくれました。
「タイでは、農業をやめていく人が増えています。
どんなに広大な田んぼで、どんなにお米を作っても、高く売れない、残ってしまう。家族を養っていけない。
だから、田んぼは、籾をまいたら、後はほったらかし、お父さんは、街に出稼ぎに行きます。
2年で5回、だいたい4ヶ月少しでお米が収穫出来るので、その時は、会社を休んで稲刈りに帰ってくる。
または、他人に任せて、自分達家族が食べる分だけ確保し、後のお米は、作っていただいた人にあげる。
もう、タイの農業には夢がないね!」
と愚痴っぽく話てくれました。私は質問しました
「日本の品種”ササニシキ””あきたこまち”も作ってたじゃない!今でも作ってるんでしょ?」
そうするとガイドは
「日本のお米は、タイの人には美味しくないね。日本にも売れないし、もうあまり作っていないね」
と答えられました。
日本でも米離れ、米余り減少となり、そしてタイが期待していた日本への輸出も、ミニマムアクセスという最低限のお米の輸入にとどまりっている日本、そしてその輸入もアメリカやオーストラリアなどの大国相手に、タイ産のジャポニカ米は、受け入れられないのでしょう。
それゆえ、13年前に希望に満ちていた農業も、今では衰退・・・日本と同じですね
でも、今のタイ農業の唯一の希望もあるそうです
タピオカの畑です。
タピオカは、イモのような植物で、粉にしてタイ料理にも多く使われるので、国内消費がかなりあります。それが近年、タピオカで海外でも多く使われるようになったので、タピオカの栽培が増えているそうです
タイは日本に比べて貧富の差が激しいです。サラリーマンの平均月収が1万バーツ(4万円)です。
ちなみにガソリンは、日本と差ほど値段がかわりません。車は日本の2倍以上の価格、ただし車検はありません。
「お米って、㎏いくら位なんですか?」とガイドに尋ねると、
「お米は最近、買ったことがない。買って、自分で炊いて食べるより、屋台などで外食する方が安い!
屋台だったら、1食100バーツぐらいからで食べれるから、タイのサラリーマン、みんな会社の近くの屋台で食事します!
休みも外食がほとんど、1食160~200バーツでレストランで食べられる。
それでも、家族で共稼ぎでも、子供がいたら、ほとんど残らないよ!だから、みんな子供作らない・・・」
なんか日本と同じですね・・・タイも少子化となり、いずれは、高齢化社会になるようですね。
どこの国も同じような事情・・・まだ日本はマシな方かも
気候が安定してるから何回も出来るのなら、日本企業がタイアップして作ることは出来ないんでしょうかねえ。
そのような状況だと、今はもう他の国が一位かもしれませんね
12年ほど前タイへは一人旅しました。
屋台でのごはんは美味しかったです。
ただしそれはすべてご飯の上に何か具がのっかてるか
スパイシーなものと一緒にいただくのが前提でしたけど。
ご飯のみなら駄目っす。食えません・・
-思い出話-
チェンマイからアユタヤをプラプラしてバンコクへの帰りの最終列車に飛び乗ると列車内は5~6歳の子供たちで満員でした。
(多分100人くらいいた)
きっと地方から売られてしまった子供たちだったのでしょう。
私は仕方なく列車に乗り込むデッキ(外)で一時間固まってました。
あれはほんとカルチャーショックでした。
今もあんな状態なんでしょうか?
。
確かに何回も出来るという利点はありますが、それだけの消費量がなければね・・・米離れは日本だけではないようです。
う~ん、いい経験(といっていいのかな)を持っていますね。
タイ米は、いろんな物を上にかけて食べたら美味しいですよね。
ホテルのバイキングでも、私は、タイ米を選んで、いろんな物と一緒に皿に盛って、食べました。これが、タイで言うカレーだそうです。
庶民の生活は、少なくても私の見る限り、20年前と変わっていません。裕福に、車に乗っているのは、ほとんど外国人です。
信号に止まっている時でも、バスや車の窓を叩いて、民芸品や偽ブランド物を売る小さな子供の姿が、バンコク市内あちこちで見られます。
買ってあげればいいのですが、一人が買うと、次々と新しい子供が寄ってくるのを前回体験していますので、買う時もこそっと(*_*)
朝、ホテル前の公園を散歩していると、ダンボールの家から出てきた人が、公園の水道で顔を洗い、ネクタイを閉めているのを見かけました。
貧富の差は、ますますひどくなっているように思います。